□お知らせ□
○福岡PARCO POP UP STORE
■会期:7月15日(金)~7月18日(月祝)
■会場:本館2F エスカレーター横
OPEN 10:00 - 20:30
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○周年企画
「選択の自由展」
■会期:8月5日(金)~8月14日(日)
■会場:酢橘堂(京都)
OPEN 13:00-18:00(火水木定休)
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私たちは思考する上で必ず言語を用います。
逆に言うと、私たちは言語の枠内でしか思考できないのかもしれません。
これを言語的相対論というようです。
こういった実験があります。
ある先住民族は色というものがかなり曖昧に区別していて、はっきりと分かれているのは黒、白、赤のたった3種類だったようです。
彼らは「空のように黒い」「木の葉のように黒い」という表現を当たり前のように使います。
もちろん、その民族が私たちと違った特殊な色の見え方をしているわけでもなく、私たちと同じように世界が見えた上でその三色の表現しか使っていなかったのです。
一見、色彩言語が豊富な私たち日本人には到底想像のつかない感覚だとは思うかもしれません。
しかし、似たようなことが私たち日本人にも起こっています。
それは味です。
私たちは味覚に関しての表現がかなり曖昧です。
桃、砂糖、蜂蜜、お米、高級なお肉などを、全て「甘い」と表現します。
本来別の味がするはずなのに。
要するに、言語の種類(ボキャブラリー)の数が、認識に影響を与えるということです。
つまりは、語彙力の少ない人の世界は単純化(浅い)され、語彙力の多い人の正解は複雑化(深い)するということです。
よく、物事の良さを伝えるとき、「語彙力がなくて(ボキャ貧で)うまく表現できない」という話になることは多いと思います。
そもそも語彙力の少ない人は「感動した」という体験を「感動」という言語以外で認識することができず、先ほどの先住民や、私たちの味覚のような現象に陥っているのかもしれません。
言語は伝えるためだけではなく、認識の時点から必要になっているのかもしれません。
私は子供の頃から小説などが苦手で、避けてきたこともあって、どちらかというと語彙力が少ない方だと感じています。
ですが、この説を初めて知ったときに、妙に納得したのと同時に、言語力の大切さを改めて痛感しました。
生み出すクリエイターとして、世界が単純化して深みがなく見えてしまっていることは問題だと感じます。
改めて、意図的に言語力を向上させる努力をしていきたいと思います。
2022.7.17
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