□お知らせ□
ジェイアール京都伊勢丹POP UP STORE
■9月7日(水)〜9月13日(火)
■5階 リ・スタイル
-定番作品に加え、FOLDシリーズの即売会
-25th記念ジェイアール京都伊勢丹 コラボバッグを販売
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ブランドについて色々考えたり、行動していたりすると、たまにブランドの価値とは何なのかを考えることがあります。
なぜ今これをしているのか、作っているのか、それらの価値が向かう先はどこなのか。
直接売上にならないようなことをしているときは、「回り回って売上に繋がるから」と考えたりすることが多々あります。
では、最終的に全ての活動は金銭的な価値へ辿り着くのでしょうか?
今日はそんなことを考えてみたいと思います。
作家活動、あるいはブランド活動はこの人間社会で行う以上は経済活動の一部です。
売るために作っているのではないにしても、作ったものを売ることは事実です。
作ったものを売るためのことはたくさんします。
近江商人の教え(近江商人の商売十訓)でも「良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり」という言葉があるように、良いものやサービスが世の中に広まる努力を惜しまないことは大切です。
そのことに僕もとても賛同します。
普段、この作品たちをより多くの人に届けたい(販売したい)と目の前のことに集中していると、さも目的が「販売すること(=金銭的価値に置き換えること)」になっているように感じてしまいます。
その視野が狭まった状態で長くいると、ふとした瞬間に、作っているものや、やっていることは全て売るためなのではないかと自分を誤解させ、精神的に辛くなってしまいます。
言い換えれば、自分のやっている活動の価値は全て金銭的価値に最終的に辿り着くのではないかと不安に襲われます。
これでは精神衛生上も最悪ですし、モチベーションもだだ下がりです。
なので販売のその先を考えていきます。
作品をより多くの人に届けたい(販売したい)ということのは、売上を上げるということです。
では、なぜ売上をあげたいのでしょうか。
売上を上げたい理由を考えてみました。
・作りたいと思っている新しい作品を作りたい、より面白くてワクワクするようなことをしたい
・関わってくれている周りの人に還元して、お互いに成長していきたい
とりあえず、すぐに浮かんだのはこの二つです。
売上が上がれば、余裕が生まれて今までできなかったクリエイションにチャレンジができます。
僕たちは常に予算の枠の中でしか制作はできません。いきなり莫大なお金が手に入って、それで何かやってと言われても未経験すぎて困りますが、それでも、もっと余裕があればこんなことがしたいという夢は尽きません。
もう一つは周りへの還元です。ブランドの価値や評価は少しずつですが上がってきていると感じていますが、まだまだ関わってくれている人たちへの還元が全然できていないと感じます。
2年も働いてくれている制作のスタッフを社員にさせてあげることすらできておらず、本当に日々の感謝と申し訳なさを感じます。
他にも周りにいるクリエイティブに関わってくれているフリー同士の仕事でも、もっとちゃんと良い支払いをしたいです。
価値あるものにちゃんと還元して共に成長していけるようなブランドにしていきたいです。
ということで、売上をあげる目的がしっかりすると、さっきまで病んでいた「全ての活動の価値は金銭価値に置き換えられるのではないか恐怖症」はそうではないということがわかり、完治しました。
となると購買行動においてのイメージも少し変わってきます。
今までは、目の前のものの価値と金銭的価値(貨幣価値?)を等価交換して得ていたようなイメージでしたが、
実際は、目の前の価格(貨幣価値)=(もの自体の価値+ブランド維持+ブランドの未来への投資+etc,,,)といった様々な要素が貨幣価値に含まれていることがわかります。
近年「消費(購買行動)は投票である」という考え方が多く見受けられるのも納得です。
ただ、僕自身はプロダクトに力が感じられなくて、ブランドやプロジェクトの背景過剰なものの売り方は好きではありませんが、、、
では、最初の疑問の「価値はどこへ辿り着くのか」に戻って考えたいと思います。
ものを作って世の中に出して売れば、一旦は金銭的な価値に置き換わります。
でもそこはゴール(目的)ではなく、次のための手段にすぎません。
つまりは広い視野で考えると全ては循環していることになります。
では、最終地点はどこにあるのか、、、
これに関しては完全な僕自身の感覚的な話で書きたいと思います。
おそらくですが、そういった活動を行う中で少しずつ、目に見えないポイントのようなものがふわふわ〜っと雲のようにブランドの価値として蓄積されているのではないでしょうか?
それはきっと数値化はできないけれど確かにそこに存在を感じるものに思います。
おそらく僕だけではなく皆様にもKENTO HASHIGUCHIというブランドの価値の存在はぼ